創世記11章における問題は、単なる建築行為や都市形成ではない。その核心は以下の三点に集約される。
ここでいう「中心」とは物理的都市に限らず、権威の中心・意味の中心・価値の中心を含む包括的概念である。
YHWHによる言語の混乱と分散は、単なる裁きではない。それは神学的に、反神的集中を防ぐための構造的制限(リミッター)として理解される。このとき与えられた「境界」は以下の要素を含む。
堕落後の人間社会において問題となるのは、悪が個人レベルにとどまらず、構造として巨大化することである。バベルはその典型である。これに対し分散は以下の機能を持つ。
聖書における「バビロン」は、歴史的帝国を超えて、神に代わる世界秩序の原型として機能する。その特徴は以下の通りである。
現代における統合的傾向は、それ自体が直ちに悪であるとは言えない。聖書は最終的に諸国民の統合を描くが、それは神の王権の下での統合であり、人間主導のものではない。したがって問題となるのは以下が進行する場合である。
聖書は一貫して、寄留者の保護・隣人愛・弱者の擁護を命じる。ゆえに、「外国人の存在そのもの」を問題とする神学は成立しない。しかし同時に聖書は、境界・土地・法秩序・共同体責任を重視する。
分散技術(ブロックチェーン等)は、権威の非集中化・検証主体の分散・単一依存の回避という点で、構造的に分散秩序に類似するため、比喩的には反バベル的形態と位置づけ得る。しかし決定的に重要なのは、人間が堕落しているという事実は変わらないことである。
バベルとは、人間が神に依存せず単一中心へ自己統合する企てである。YHWHは言語と民を分け、境界を与えることで、反神的集中を抑制した。
この分散は、堕落世界において悪の全体化を遅らせる抑制構造として機能する。ゆえに、境界・諸国民・複数の責任主体は、神的に許容された秩序である。
現代においてこれが解体され、単一管理秩序へ向かうなら、それはバビロン的再統合と解釈される。ただし問題は人の移動ではなく、境界と責任の消失である。また分散技術は比喩的に反バベル的構造を持ちうるが、罪ある人間の下では、それ自体が善とはならない。